最も魅力のない提案♪
おはよーございます💓
バレーのワールドカップが始まりましたね〜
心ウキウキ ワクワク応援するのが好きなのです(笑笑笑笑
でも
ふと気づいたんですが、
最近ずっと心ワサワサしていた理由が
未来に起こる出来事で ワサワサしていると
ずっと思っていました。
が あら、
ワサワサがいつの間にか止まっていて、
未来のことを思ってもワサワサしないんです
ワサワサって自我(自分)がしてるだけで、
未来を理由に 相手を理由に勝手に自我(自分)がしてるんだと
内に矢印を向け
愛を感じたら
ワサワサは止まっていました✨
ワサワサ、ワクワク、ドキドキは
矢印が外に向いてるんですね✨
自我(自分)に矢印を向けることって
ワクワク、ドキドキ、ワサワサしなくて、地味で最も魅力のないものだから、
なかなか向き合えないのでしょうか?(笑笑
気になることを
溝口あゆかさんは、どのような表現をされてるんだろうと検索してみました。
数年前のブログを1部抜粋しました。
以下
相手を悪者にしていた間は決して目を向けてもらえなかった心の飢えが、気づいてもらえ、そして愛で満たしてもらえるんです。
そうでない限り、心の飢えを感じないようにするために、ずっと相手の言動をコントロールし続けないといけないし、また相手の言動にいちいち心が振り回されてしまいますね。
しかし、自分で満たした愛、心の平和は誰も奪うことはできません。
あぁ、楽チン!
自我にとって、“他者も状況も変わらないけど、自分を見つめよう♪”という呼びかけは、たぶん最も魅力がないものでしょう。
でも、ここにこそ本物のパワー、愛、智慧、平和があるんです。
さて、このようなことを書くと、ぜんぶ自分に原因があるのだから、相手に何も言ってはいけないのか?とか、暴力を振るわれてショックな場合も抵抗するべきではないのか?といったようなご質問も頂きます。(どっちが悪いかという問題ではありません)
で、もちろんそういうことではありません。
自己愛を高めるには?がいつも目安ですね。
相手を悪者にし続けて自己愛は育つ? 暴力をただ受け入れていて自己愛が増える?
自己愛はまた、加害者VS被害者を超えた愛があることに気づかせてくれる、分離の幻想から私たちを導き出してくれる道しるべでもありますね♪
ありがとうございます😊