排除から寛容
おはよーございます😊
先月、私も草場さんの京都の個展に行きました。
京都個展の終わって片付けの時の出来事だそうです。
心が揺さぶる文章です。
排除から寛容ですね〜
私もたまに使ってるかも
「まともじゃあないんよ」って
時間がある時お読み下さいませ😊
以下
「まともな人間じゃないねーんだぞ」
京都東寺の個展を終えて、荷物を積んだチャーターした車が佐賀まで帰ったときのできごとです。
宅配サービスの車とすれ違いざま、こちらの車をこすってしまいました。
事故とは言え、互いにケガがあるわけでもなく、乗せている作品に傷がついたわけでもなく、「こすった」程度のものですから、事後処理をすればいいだけのことです。
「何しているんだ!」
明らかに、逆切れの若者がおりてきました。
明らかに、「すごんで」います。当方には非がないので恫喝されるゆわれもなく、こちらのドライバーさんも、喧嘩の姿勢をとりました。
相手の若者が次に発したのは
「オレはまともな人間じゃね~んだぞ」。
私も若かったら、ドライバーさんと一緒にとびかかっていたかもしれませんが、もうおとなですから、
「まともじゃないって、どういうこと?」と聞いてみました。
「ドラッグだってやった、喧嘩だってやった」「こんなことも、あんなことも・・・」。
23、4の若者が「一生懸命」に「ワル」を演じようとします。ぱんぱんに膨れたフグや襟を立てて威嚇するエリマキトカゲのようです。
「まともじゃない、というからには、まとも、がなにかに気づいているんだよな?」
実際「まともとはなにか」というのは、かねてからの大きな疑問でもあります。
(多分・・・とっても「まとも」な人たちが、「まとも」な人生の結果、いい大学を出て、政治家になり、まとももまともでないも含めたふつ~の人にはなかなか思いつかない「忖度」とか「生産性」という言葉で人を愚弄している・・・あ~、まともってなんだ?)
すると。青年の態度が変化しました。
昨日も始末書を書くようなことがあり、またこんなことをしでかしてしまった自分に腹が立っている・・・。また今日も始末書となれば、クビになるだろうと打ち明けてくれました。
「そうなのか」と話しているところに騒動を聞きつけて、警察と彼の会社の上司がとんできました。
「この社員はすぐに辞めさせますから」。それが上司の最初の言葉です。
私は、むしろ、その言葉にムカつきました。
こうやって、「まともそう」な人間が「まともらしい」ことをする、それって本当に「まとも」か? 「まとも」でなさそうなものは排除していく「まともな社会」?
「人を育てるのがあなたの仕事でしょう。
彼をやめさせたら、それこそ問題にしますからね」。
それを聞いて、まともじゃないと言っていた彼が、声を上げて泣き出しました。
やるせなさが痛いほどわかります。
一生懸命さが裏目に出ている彼の、その一生懸命さが切実で、私もやるせない思いです。
悔いている人間がいる。
出来ることは、きっとじっと見守るだけですね。
これは彼だけの課題ではないのです。
●排除から寛容へ。
ありがとうございます😊